母 の 看 病

　原敬が敬愛してやまなかった母リツが、病を得たのは、大正３年（１９１４）、原敬が５８歳の３月でした。

　原敬は、山本内閣内務大臣として４月１６日まで務めて辞任していました。いわゆるシーメンス事件（海軍汚職）です。この後、６月１８日に第３代立憲政友 会総裁になるのです。内閣の後始末と、総裁就任までの期間でとても多忙でしたが公職についていなかったのでなんとか時間を作り看病することができました。

　原敬は、東京と盛岡を往復して、懸命に看病しました。その様子を、「原敬日記」から抜いてみました。原敬の母に寄せる気持ちが痛いほど感じられます。

　

母病気の知らせ　

　３月２６日　母上（註満９１歳）４、５日前より御足はれられ医師を招き診察せしめおる旨、２５日

　　　　　　　　付にて家兄（註６１歳）より来信ありたり。

　４月１１日　母上御病勢よろしからざる報知に接したれば、直ちにお見舞いを兼ねご看護上に

　　　　　　　　つき注意申し送りたり。

浅夫人を盛岡に

　４月１３日　母上ご病気よろしからざるにつき、余帰県せんと欲するもこの際不可能なれば、浅

　　　　　　　　（註４３歳）、誠（註５４歳）夫妻とともに帰県せり。

医師を盛岡に

　４月１５日　母上ご病気ご診察のため入沢医学博士を盛岡に送り、高橋光威同伴午後１１時

　　　　　　　　出発せり。

　４月１６日　母上御様子高橋光威より電信あり。入澤博士診察の結果は、脈もよろし、腫れも

　　　　　　　　減じたり。心臓に故障あり。さりながら御危篤という状態にはあらず。ただ御高齢

　　　　　　　　故、変化なきを保せず。本日は殊によろしといえり。

　　　　　　　　明朝は高橋、入沢共に帰京の筈につきその様子を聞き、明日夕６時出発帰県する

　　　　　　　　事となせり。

　４月１７日　高橋光威、入沢博士と共に帰京につき、母上の御様子を聞きたるに、昨日電信の

　　　　　　　　通り御危篤にはあらざれども、御高齢故何時変化あらんも知れずということなれ

　　　　　　　　ば、予定通今夕出発のこととなせり。

原敬盛岡へ

　４月１８日　午前６時２０分盛岡着、母上御見舞をなしたるに、幸に腫も減ぜられ、大分御気分

　　　　　　　　およろしき様にて安心せり。ただし、いつ変化あらんも知れず。

　４月１９日　母上御病勢大体昨日に同じ。ただし、水気もますます減ぜられ御脈もよろしとのこ

　　　　　　　　となり。色々御物語あり。余等が遠方におる故、病気にてもなきやとそれのみ心配

　　　　　　　　しおるとの御話につき、御全快後御祝など御話して御慰め致せり。

交代で夜詰

　４月２０日　今夜より、交代に御夜詰をなすこととなせり。暁２時頃、余は何時来るやなどの御

　　　　　　　　尋ありて、明日は蕎麦切を馳走する故に来れ、との御話あり。

　　　　　　　　余は蕎麦を好む故と思う。

　４月２１日　昨日は３８度の御熱あり。本日は７度７分位なり。御熱降れば御気分よろしき様な

　　　　　　　　るも、衰弱加らせらる。

　４月２２日　大変に温暖なり。御熱７度７分位御水気少々加わる。さりながら御気分はよろしき

　　　　　　　　様なり。

　４月２３日　本日大いに御気分よろしくて、不思議にも色々御物語りありて、一同愁眉を開きた

　　　　　　　　り。

　４月２４日　昨日同様に御気分よろしく、本日強心剤を見合わせたりと医師云えり。ただし、暁

　　　　　　　　３時頃より如何にも御疲労の様にて沈睡せられたり。

　４月２５日　母上、本日は少しく御不良にて御脈結滞あり。またまた強心剤を用いらる。夕刻は

　　　　　　　　少しく御よろしき様なり。

　４月２６日　昨日と大差なけれども、御疲労加らせらるる様に見ゆ。

　４月２７日　夕刻母上御様態悪しというにつき、俄かに一同集りたるに、追々御回復ありたり。

　４月２８日　母上、御様子昨日と大差なし。

　４月２９日　母上、御疲労加らせらるる様に見ゆ。

　４月３０日　昨日本部より帰京の期を尋ね越したるにより、母上の御様子次第にて２日晩、ま

　　　　　　　　たは３日朝に帰京すべしと返電せしが、本日高橋光威東京より来着、本部にては

　　　　　　　　臨時議会もあり、また地方官の更迭もありたれば、余の帰京を望みおれりといえ

　　　　　　　　り。

　　　　　　　　母上、昨日と大差なき御様子なり。

　５月　１日　母上御様子、昨日に同じ。医師はこの分ならば両３日中に急変あるが如きことな

　　　　　　　　かるべしと云うにつき、明日上京に決せり。

やむを得ず東京へ

　５月　２日　午前１０時発にて上京し、夜１１時帰京、岡、高橋同伴せり。

　５月　７日　今朝母上診察の御様子、午後電報あり(毎日２回来電)。御熱あり。容体悪しとあ

　　　　　　　　り。その後如何か気遣いいたるに電報なし。よって問合わせの電報を発せんとて

　　　　　　　　電信局に電報を送ったるに、電信局にてはただ今盛岡より至急報来り配達中なり

　　　　　　　　と注意しくれたるに、配達を待ちいたるも来らず。時刻も移るにつき電話にて電信

　　　　　　　　局に尋ねたるに、同局は電話にて電文を知らせくれ、引続き御不良の旨申越につ

　　　　　　　　き相談役等と協議中なりしも急遽出発に決し、高橋光威等を伴い１１時の汽車に

　　　　　　　　て出発せり。

急遽盛岡へ

　５月　８日　午前１１時過盛岡着。直に竹内医師より御容体を聞き取りたるに、一昨日より疑あ

　　　　　　　　りし御頚筋の腫物は、昨日にいたり丹毒なりと認定せられたり。治療法は注射を要

　　　　　　　　すれども、今日の御容体にては発熱あり危険なりと云うにつき、余は見合はすべし

　　　　　　　　と云えり。

　　　　　　　　母上を御見舞せしに、ちょうど竹内、後藤の両医診察中なりしが、御脈も不良御熱

　　　　　　　　も高く注射不可能なり。また、今夜より明朝にかけてもっとも危険なりとの注意につ

　　　　　　　　き、その手配をなせり。

　　　　　　　　母上の御名呼びたるに、眼を開らかれて余を了解せられたる御様子なりしなり。た

　　　　　　　　だし、言語は発せられず。聞く所にては、一昨日は御元気にて御枕辺にいる誰彼

　　　　　　　　に色々御物語りあり。また、歌を歌うを聞かれて御喜びなりしと云えり。

御名を呼びたるに

　５月　９日　夜１２時頃より母上御容体頗る不良に陥られ、遂に１時１５分に至って瞑目せられ

　　　　　　　　たり。

　　　　　　　　御年９２、御臨終の際には御苦痛もなきが如く、その１０分ばかり前に余御名を呼

　　　　　　　　びたるに、眼を開らきて御覧あり。また水を綿に湿して差上げたるに御吸ありたり。

　　　　　　　　余は１０歳にして父上逝去せられ、爾来母上の御手にて成長し、一方の人間にな

　　　　　　　　らんと志し、１６歳の時東京に出、もって今日に至りたるが、御年９２と云えば御年

　　　　　　　　に御不足もなき次第なれども、余にとりては、いやが上にも御長生を望みたるに、

　　　　　　　　今日ありしは遺憾の至なり。それにしてもちょうど退官、親しく御看護をなしまた御

　　　　　　　　臨終にも間に合いたるはせめても幸なりき。

母を詠んだ短歌･俳句

明治４３年８月（註　６日午後盛岡に着いている）

　　　　　　　盛岡に着きける折母の無事なる俤を見て

　　　うれしさを何にたとへんたらちねの

大正３年（註　母は５月９日死亡）

　　　　　　　　母の死せしとき

　　　うつせみの世は常なしと知りながら

　　　　　　　　なき母を思ひて

　　　朝な夕な君ませばと思ふなり

　　　　　　　庭の草木のさかりゆくを見て

　　　移し植ゑし松も紅葉もさかえけれ

　　　　　　　　　君ましまさず眺むるもうし

大正５年８月

　　　　　　　　　母上の瓜好まれたるを思ひて

　　　　瓜摩りて差上げやうもなかりけり

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